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カネか人命か?なのか? コロナウイルス感染防止のロックダウン策の経済的評価

新型コロナウイルス感染症、COVID-19に関する影響で、「経済政策で人は死ぬか?」が話題になっているらしい。


経済政策、とくに財政政策によって政府の支出を増加させる積極財政政策、また経済の過熱や政府の財政収支バランスを均衡させるために支出を減少させる緊縮財政がどのような公衆衛生的な帰結、すなわち国民の健康や生死に影響するかという研究をまとめた本である。

世界恐慌時にニューディール政策を受け入れた州とそうでない州の差や、リーマンショック後のギリシャアイスランドアジア通貨危機後の各国の対応、ソ連崩壊後のロシアとポーランドなど、自然実験と言われる歴史的イベントも用いて、財政政策の健康や死亡率への影響を調べている。

特に、今回の騒動ではなかなか直接的な現金給付などを迅速に行わない日本政府への批判の文脈で引用されることが多いように感じる(本書では日本は積極財政を行って成功した側にカテゴライズされているが・・・)



一方で、今一部の海外諸国で議論になっているのは、現在すでに行われているロックダウン政策はどれほど効果があるのか?いつ終わらせるべきか?という点である。

例えば以下の記事はノルウェー語で書かれている私の同僚にあたる人が書いた記事だが、タイトルは「できることをすべてやる、というのは間違いで、何が本当に必要か?を考えるべきだ。」と訳せる。
ノルウェーは迅速にロックダウン策を行い、外出禁止ではないものの学校等は幼稚園から大学まで閉鎖、多くのお店も閉店状態にある。社会保障は手厚いので、失業保険など給付は早くに始まっているが、国境も封鎖状態にあり、当然経済が停滞する影響は大きい。
著者らは、何が本当に必要で、どういう費用と効果があるのかを調べながら政策を決めるべきだと主張している。
www.dn.no


先日のドナルド・トランプ大統領のツイートが波紋を呼んでいる。

問題そのものよりもその治療(による影響)が問題となってはいけない、とでも訳そうか。これは記者会見でデータを見ながら経済活動をできるよう適切な時期に外出禁止を解除する、と発言した文脈でのことである。

これが大きな波紋を呼んだ理由は様々だが、基本的には「人命を守るためのロックダウン策と経済(つまりカネ)を比較するのか?」という批判が見受けられる。

カネか人命?なのか?

すこし落ちついて考えよう。当然ながら人命は重く、我々が守らなければならない最優先なものだ。一方で、上で紹介した本によれば、経済状態が悪化すれば人は死ぬのである。
ロックダウン策によって、直接的な感染者を減らしたり、感染スピードを遅らせることで、人命を守れる一方で、そのロックダウン策によって経済が停滞して死ぬ人が増える可能性がある。

かといって、ロックダウンをしなかった場合に経済が通常通りになるのか?もちろんならないだろう。ロックダウン策が施行されなくても、ウイルス感染が広がっている現状を認識して人々は行動を変化させるのだから。

経済学においてもCOVID-19関連の論文が出てきている。経済学でよく行われるのが政策の効果を推定するということだが、もちろん現行で行われている政策の効果を今の時点で推定することはできない。
一方で、ある程度の仮定と物事の関係性を描写するモデルを建てることで、事前の評価をある程度行うことはできる。

しかし、どう評価するのか?ロックダウンをした場合としなかった場合で何人が死ぬか推定するのだろうか?

この点について、4月2日に非常に興味深い記事(英語)が公開され、多くシェアされている。
タイトルを訳すと「いつアメリカはコロナウイルスシャットダウンから再開できるのか?
副題は「答えは人命と経済の比較の仕方にある。この難題な計算について専門家に聞いてみた。」といったところか。

タイトルの通り、人命と経済の比較の仕方についてそれぞれの専門家からのコメントを6つ集めた長い記事となっている。

www.politico.com


実際に「いつ」再開できるかという答えはもちろん書いていない。しかし、多くの意見は、計算方法によっては現在のロックダウン策は経済合理性があり、
ロックダウンを行わなければ、さらなる感染者数と死者数の増加による経済的インパクトが大きくなるとしている。

記事のメインテーマは経済と感染症によるロックダウンに関する帰結についてである。
人の命を金銭的な価値で評価する、という手法は議論を呼ぶこと間違いなしのトピックだが、限られた資源(わかりにくければ予算と読み替えてもいい)の中で最大限の結果を得る政策を行うためには金銭的な価値で比較することがもっとも客観的に評価できるという立場にある。この方法や運用について、客観的に解説している記事だと思う。
また、実際にロックダウンしたらどうなるか、どうなったかという研究の紹介もある。

ここでは、記事すべてを載せるわけにはいかないが、それぞれの記事の要約と重要なポイントを挙げてみたい。

1. なぜ経済学者は人の命をドルで評価するのか?

1つ目の記事は、今回のような人命に関わる費用便益分析の解説である。副題には「非常に不完全なアプローチだが、実際にはさらに多くの命を救う可能性がある。」とある。

人の命に金銭的価値をつける、という行為は心理的な抵抗が大きい。あなたのお父さんの命は〇〇円です、と言われて、それが1億だろうが1兆だろうが心理的に納得できる数字があるとは思えない。

しかし、問題は政策決定である。ある生命を救うために払うことができるお金は無限ではない。ここで「機会費用」という経済学では一般的な概念が出てくる。
もしあることにかかる費用をほかのことに使えたとしたら?さらに効率的に使えたとしたら?違う使いみちで使うことによってもっと多くの命を救えるかもしれない。

どうやって人の命をお金に換算するのか?一つの方法がVSLである。一般的にはある事象によって統計的死亡を回避するための支払意思額を集計したものである。
たとえば、ある危険な仕事に従事する人が一般的な仕事に比べて10万円高い金額をもらっているとする。その危険な仕事の死亡リスクが他の仕事より1%高いとすると、
VSLは10万円/0.01 = 1000万円になる。

上の数字は例にすぎないが、例えばアメリカでは実際には様々な推計に基づいて1千万ドルという数字が使われている。*1
仮に今の政策が200万人の命をコロナウイルスから守るとすれば、単純計算で20兆ドルの便益があることになる。

しかし、VSLを用いることには上とは異なる批判もある。つまり、個人の支払い意思額が必ずしも社会が支払うべき費用ではないという点だ。
あるお金持ち老人が延命のために持っている資産すべてを使うという選択はありうるかもしれないし、それが支払い意思額になるが、社会全体で見てそのような価格を払うことが理にかなうとは考えられない。

代わりに使える指標としては個人が経済に貢献するであろう期待額、日本語で言えば逸失利益に相当するものだろうか。このほうが理にかなっている一方で、一人一人の逸失利益を計算して合計するのは現実的に難しい。
また年令によって生きていた場合に稼ぐ金額などは異なる。著者らの計算では、一人あたりの逸失利益は41万ドルになったという。1千万ドルより非常に少ない数字だ。

つまり全体の幅として20兆ドルの便益から、8280億ドルまでの幅がある。数字だけで見れば、現在の政策はトランプのいうとおり経済的にペイしない可能性がある一方で、
すくなくとも費用便益分析は何が起こりうるかの境界を引くことができる。唯一の解を数字だけで得ることはできず、我々の価値観というものが最終的には必要になってくる。





2.ソーシャルディスタンシングは命を守るが、不況も同じく命を守る。

直感に反するタイトルである。不況下において死亡率は減少するというのである。
すくなくとも先進国においては最近の不況時のデータを見るとこれが事実だという。つまり、不況時は好況時に比べて死亡率が減少する

このパートの著者、アン・ケースとアンガス・ディートン(後者はノーベル経済学賞受賞)は彼らの本の中で、特にワーキングクラスにおける薬物などの流行やそれに伴う死亡は、経済的状況が原因ではあるが、好不況の波が原因ではなく長期的な賃金減少トレンドの結果だと論じている。

まだ和訳はないようだが、以下の本である。
[asin:B082YJRH8D:detail]


この不況と死亡率の負の相関関係はアメリカだけではなく、ヨーロッパや日本でも見られるという。日本については以下のような論文も出ていて、自殺、高血圧性疾患・糖尿病による死亡は不況時に増加するが、心臓疾患・肺炎・肝臓疾患・事故・老衰による死亡は減少するという。
https://link.springer.com/article/10.1353/dem.0.0008

なぜこんな直感に反する結果が出ているのか?当然、不況時に自殺は増加するが、全体の死亡率に比べるとその数は小さい。一方で、好況時は多方面で人々はアクティブになるため、事故死が増加するし、忙しく働くことでストレスが増加して心臓発作なども増える。また、経済活動が活発になると環境汚染が増加し、健康被害も増加する。さらに今日では老人が死ぬ確率が高いがこういった人は低賃金で働く介護士などに支えられている。こういった職は好況時には十分な人数を探すことは難しく、人員不足になりがちとなる。

では問題は自殺となる。自殺は不況時には増えるが、今回の問題はソーシャルディスタンシングを行っている点が懸念事項だ。一般に自殺は、孤独と相関性があり、今回のように家にこもるケースが増えた場合自殺を試みる人は増える可能性があるし、さらには病院等のキャパシティがオーバーしつつある現状では自殺未遂でとどまっていたはずが自殺になってしまう可能性もある。

一方で、自殺は戦時下では少なくなるというデータもある。社会が結束してなにかと戦うとき、人は孤独感を感じないものなのかもしれない。
今回のケースはこちらがあてはまるのかもしれない。

3. スペイン風邪流行時に行ったソーシャルディスタンシングは何をもたらしたか?

パンデミックというのは普段怒らないイベントであるため、政策決定者は何を行うべきかという指針が不足している。
しかし、過去に起こったパンデミックについて分析することで指針を得ることができる。

記事の著者を含む学者がこの点について行った研究を紹介している。研究課題は2つ:
1.パンデミックの実質的なコストはどれぐらいか、またどれぐらい長期で影響するのか?
2.ソーシャルディスタンシングのような公衆衛生政策はそれ自体の経済的なコストがあるのか?

それぞれの回答は以下の通りだ。

1.スペイン風邪の流行が大きかった地域では特に経済的な影響が大きかった。例えばペンシルバニアなど、大きな影響を受けた州では18%程度の製造業の生産量減少があり、影響は数年続いた。

2.早期に大規模な公衆衛生政策を行った都市などでは、他の場所と比較して大きな経済的な影響があったわけではなかった。つまり、公衆衛生政策は少なくともスペイン風邪流行の影響に加えて経済を悪化させるようなことはなかった。さらに、そういったところではスペイン風邪が沈静化した後の経済活動の成長が他のエリアより早かった。

この理由について、著者らは一般的な経済学と「パンデミック経済学」の仕組みが異なるからだという。つまり、正常時はシャットダウンなどは単純に経済的に負荷が高まるだけだが、パンデミックが起こっている状態では人々の消費活動や生産活動は疾病自体によって阻害される。そのため、パンデミックを早期に沈静化させられるような政策は経済的に負荷が大きそうに見えても中期的には便益のほうが大きいのである。

COVID-19はスペイン風邪とは違う部分も多いが、ソーシャルディスタンシングが経済的な高く付くとは言えないだろう。何もしないほうが結果的に悪い結果を引き起こす可能性がある。

4. 経済と公衆衛生はトレードオフなどではない

経済と公衆衛生はどちらも人間の幸福に資するものである。これらをトレードオフを考えてどちらが重要か?価値があるか?と比較するのは一見合理的に見えるが、その考え方は誤りを引き起こす。

効用関数のもとで消費できるものが多ければ幸せ、という経済学のモデルはすべてを語らない。しかし、貧困は不幸せな状況を招くのも明らかである。人間社会の幸福というものの一面をそれぞれ表しているにすぎない、問題は経済か健康かという2つの問題ではなくどうすれば幸福度を最大化できるかという問題だけだ。

ソーシャルディスタンシングなどの政策は一時的には大きな費用を伴うが、ウイルス感染が蔓延すれば経済活動はいずれにせよ止まり、更に大きな影響を生むだろう。この政策によって、健康、人命、そして経済のキャパシティをも守ることができる。

経済の指標であるGDPは捉えきれない点があるので不十分であり、国民総幸福(Gross National Happiness)などの新指標を考慮する必要があるだろう。

もう一つ経済モデルだけに頼ることができない理由は、それらがウイルス感染した場合に発生する「外部性」を考慮していないからだ。経済活動を活発化させる大きな副作用がウイルスによって生まれてしまった今、既存のモデルによる厚生の最大化は現実に意味をなさない。

今できることは、できるだけ多くの人を死なせないことだ。お金は重要だが、それだけではない。愛する人を守る必要がある。愛する人をなくしてもお金が増えるわけではないのだ。

5. 少しの工夫で、経済活動を今すぐ再開することができますよ

必要不可欠な仕事、たとえば医療関係やインフラ関係などはこのような状況においても仕事をしている一方で、「不要不急」な仕事、例えばレストランやコンサートホール、テーマパークなどは現在のリスクに比較して重要ではないので営業を止めている。

しかしすべての仕事を止める必要はない。「どう働くか」を再考すればいいのだ。現実には多くの仕事が「必要不可欠」と「不要不急」の間にある。多くのホワイトカラーの仕事、いわゆるオフィスワークは、在宅ワークになった。しかし、物理的な作業が伴うブルーカラーの仕事も工夫することでソーシャルディスタンシングでも行うことが可能だ。

製造業はもっともこの点で最適な候補だ。工場などは、一般人は立ち入りできず、また機械がメインのラインではソーシャルディスタンスが保たれる。たとえば工場の廊下に線を描いてソーシャルディスタンシングが移動中でも保たれるような工夫が考えられる。建築現場など機械が中心の産業では同様の工夫でソーシャルディスタンシングを保ちながら操業することが可能だと考えられる。

家具屋や服屋など、顧客を入場させなくてもFacetimeなどを使って授業員とコミュニケーションすることで買い物を楽しんでもらうような工夫も考えられる。完全に閉鎖してしまうのはこういった工夫の余地を奪ってしまう。

他にもガソリンスタンドでは同じポンプを触ることで感染することを防ぐためにあえて失業した人を雇うなど、様々な工夫を提案している。

短期の経済閉鎖は意味がないが、長期になれば経済的な影響が大きい。経済再開か閉鎖か、という二分論ではなく柔軟な解が求められるのではないだろうか?


6. ソーシャルディスタンシングが本当にやる価値があるかどうか疑問だったのでモデル化してみた

最後の記事は今回のソーシャルディスタンシング政策の費用便益分析についてである。

冒頭で言及した統計的生命価値を用いて、ソーシャルディスタンシングによって守られる人命の価値を計算した結果、ソーシャルディスタンシングによって失われるGDPよりも3.4兆ドル高い、つまりやる価値が経済的に見てもあるという結果になった。

疫学で用いられるSIRモデル(Susceptible, Infected, and Recovered, 感染前・感染・回復のプロセスを確率的に表したモデル)を使って現状のCOVID-19によって死亡する人数とGDPの減少による経済的費用をソーシャルディスタンシングありとなしの2つのシナリオのもとで予測して比較した。ソーシャルディスタンシングによって人同士のコンタクトは40%減少すると仮定し、その結果120万人の人命が守られるという結果が出た。

今回はVSLを一千万ドルと仮定して計算を行った。つまり、ソーシャルディスタンシングによって守られる人命は12.2兆ドルに達する。

そして、ゴールドマン・サックスのレポートを参考に予測される今年と6年先のGDP予測を使った。それによれば今年のGDPの減少は6.2%、そしてその回復には3年かかるという。一方で、ソーシャルディスタンシングなしのGDPは別のマクロ経済研究によると2%の減少だという。これをソーシャルディスタンシングなしのシナリオの数値とする。どちらも3年で回復するとして、この差を金額に直して計算すると8.8兆ドルになる。

つまりこの差が冒頭で示した3.4兆ドルである。この結果は様々な仮定に依存しているが、現実は多くの不確実性があり、COVID-19の感染状況もどうなるかわらない。
しかし、今ある情報でベストな予測を示すことは政策決定にさらなる情報をもたらす。

*1:これは国によって異なり、ノルウェーの最近の研究では350万ドルという数字が使われた。